「人の“せい”に、したくはありませんが…」
今から約30年前。私はダブルスに悩んでいました。ボレー対ボレー戦で負けてしまう…」「相手の突き球をボレーすると、弾かれてしまう…」こんなことばかりが起こっていたからです。そのため、
「どうすれば、ボレー対ボレー戦で勝つことができるのか?」
(そんな方法があるのか?)
「突き球の強い相手に、負けないようにするには?」
(そんな方法があるのか?)
このような、自問自答を繰り返していました。
先輩プロに悩みを打ち明けると、“ニッコリ”微笑み、諭すような口調でアドバイスをくれます。
「信弥、焦るな、焦るな。基礎だよ、基礎。ボレーの基礎を地道に練習する。そうすれば、いつかきっとボレー対ボレーで勝てるようになる。突き球の強い相手にだって、勝てる日がくるんだよ。頑張れ!」
正論です。言いつけを守った私は、来る日も来る日も、ボレーの基礎力を上げる努力をしました。(手首の手術後だったので、痛みがあったのですが、頑張りました。)
結果、ありがたいことに“自力”がつきました。以前に比べ、ボレー対ボレーで勝てる回数も増え、相手の突き球にも、無様に負けることが少なくなったのです。「やはり基礎か!」私は、先輩プロのアドバイスに感謝と確信を持ちました。
「ところが…」
どこか物足りなさを感じます。何とも言えない“不満足感”。「確かに勝つ回数は増えたけど、相手と“どっこい、どっこい”の勝負が多い。違う。もっと“スカッ”っとした勝ち方がしたいんだ!」こんなもどかしさと、いら立ちを持ったのです。
もちろん、テニスには対戦相手がいます。そのため、自分が全部のポイントを取ることはできません。
ですが…悩みは、もっと根源的なところ。そう、ダブルスのチャンピオン達が見せるような“圧倒的”な勝ち方ができない。つまり…
「対戦相手を“圧倒する”ボレーが打てない!」
ここに、“物足りなさ”を感じたのです。
「田中さん、それならもっとボレーの基礎力を上げなきゃ!」by あなた
そう、私も初めはそう考えました。そこで…
「対戦相手を“圧倒する”ボレーを打つには、まだまだ基礎が足りないんだ。自分の努力不足を棚に上げ、先輩プロの貴重なアドバイスを無駄にしてはならない!」
と自分をいましめました。そして、それまで以上に基礎練習に身を入れたのです。
心がけは良いですよね? 人間的にも正しいスタンスでしょう。そして、基礎練をハードにこなす自分がいたことは、今でも褒めてあげたいと思います。
ただ、そんな真っ当で美しい心の裏側では…
「でも、本当に基礎力を上げれば、対戦相手を“圧倒する”ボレーが打てるようになるのだろうか? もっと、他に何か必要なものがあるのでは?」
こんな疑いの気持ちが、押しては引き、引いては押し返す波のように、心の中を行ったり来たりしていました。そして、あろうことか“ときおり”は…
「いつまでたっても、対戦相手を“圧倒する”ボレーが打てないのは、先輩プロのアドバイスが悪いのでは?」
こんな、人として最低な、責任転嫁する、“こすずるい”自分がいたことを白状しておきます。
「ダメだな…俺」
6畳一間の自宅で、“現実逃避”。頭から布団をかぶり、“自己嫌悪”。こんな日々を過ごし、相手を“圧倒する”ボレーは打てないまま時間だけが刻々と過ぎました。
そして、その間に少し大人になった私は、
「基礎が大事なことは、一生かわらない。が、それだけでは対戦相手を“圧倒する”ボレーは打てないだろう!」
これが核心であることを、心の底で感じたのです。
こうなると、“ジレンマ”。「では、どうするのか?」この質問だけが、年中頭から離れません。で、考えました。考え続けました。考え抜きました。強い人のプレーも、たくさん研究。でも、どれだけ頑張っても次の一手を見つけることはできず、最後は暗礁に乗り上げた船のように成す術を失ったのです。