その年の秋。マレー、フェデラー、ナダル、錦織圭選手が、歴代優勝者に名を連ねるビッグ大会、ジャパンオープンに出場。予選とはいえ、世界ランキングの高い選手と戦うこととなりました。
今回は、身長が2m近くある金髪ビッグサーバーと対戦。予想通り、なかなか上手くリターンできず大苦戦。それでも、自分のサービスゲームだけは何とかキープを続け、第一セット5-5と競りました。そして、次の相手のサービスゲームで雨が降り始め、「雨天中断!」と、大きな声で主審が宣言したのです。
着替えるために、ロッカールームに戻ります。各コートで試合をしていた選手達も、引き揚げていたため、中は“ごったがえし”状態。座る場所を確保するのも一苦労でした。
汗と雨に濡れたシャツを脱ぎ、着替えのシャツを取るため、床においたトーナメントバックに手を伸ばします。そのとき、テニス界で一番仲の良い選手の姿が“フッ”と視界に入ります。彼も私に気がつき、「おぉ!」と軽く右手を上げると、すぐに私の方に近づいてきました。
身長178cm。ボクサーのような精悍な体つき。端正なマスクに、優しい笑顔。テニス以外でも成功しそうな彼は、「どう?」と一言。「うん、5-5。でもサービスが凄くてリターンできない…」と私。
彼は優しく微笑むと、私の隣に座る外人選手が着替えを済ませて席を立ったので、横に座り親身に話を聞き始めたのです。
そして、ほどなく私は、テニス人生を大きく変える“運命の一言”に出会います。「速くてサービスを返せないよ…」と、何度も泣き言を言う私に、
「だったら、“指標”を使えば?」
と、彼がアドバイスをくれたのです。始めて聞く言葉に戸惑い、「”指標“?」と私が聞き直すと、「そう、“指標”。指標を使えば、かなり速いサービスも返球できるぞ!」と言うのです。
すると彼は、まるで誰かに聞かれることを恐れるように、“キョロキョロ”と2~3度辺りを見回すと、“スッ”とさらに20cmほど私の傍に寄り、耳打ちするほどの小声で“指標”のことを詳しく教え始めたのです。(ご存知のとおり 指標とは、物事を判断、評価するための目印です)
時間にして、わずか5分。ただ、聞くほどにビックリするような方法に出会えた私は、「数時間も重要講義を受けた」ように思いました。やがて彼は話し終えると、「頑張れよ!」と軽く私の肩を叩き言うと、選手の壁で見えづらくなった出口に向かい、何事もなかったように“スタスタ”と歩いていきました。
1時間後、雨は上がりました。コートの水はけを、スタッフさんが開始。そして、さらに40分後に試合再開すると、彼に教えられた”指標“がウソのように炸裂するのです。
「えっ? かっ、返るぞリターンが。さっきまで、“からっきし”返せなかった200キロサービスを返球できる。嘘みたいだ。何もテクニックを変えていないのに、明らかにリターンが返り出している。よしっ、行けるぞ。これは、絶対にいける!」
私は、中断前とは別人のようにリターンを返しまくります。その姿を目の当たりにした相手の長身金髪選手も、先ほどまでの余裕の表情はなくなり、換わりに全身から苛立ちが滲み出ます。
ときには首を左右に振り、「信じられない。一体、何が起きているのか?」とパニック。その後は、しきりに私を“チラチラ”見ては、「お前、さっきまでと同じ選手だよな?」と言いたげな目を向けてくるのです。
ただ、残念なことに、試合は接戦の末に負けました。対戦相手は、ランキング上位者。“サービスだけ”の選手ではなかったのです。サービスがダメなら、ストロークで。さらには、ネットプレーも交えて抗戦。「勝てるかも…」と意気揚々としていた私の鼻っ柱を、“バキッ”とへし折ったのです。
負けたことは残念です。でも、私はがっかりしませんでした。なぜなら…
「“指標”を使えば、ボールスピードに合わせて動いてしまう、我々動物の“習性”を打破できる。ストロークの凡ミス10本中8本を防ぐことができるんだ!」
という確信を得たからです。えぇ、ついに、ついに、パズルにおける最重要ピースを見つけた のです。
その後の私は、まさに快進撃。テニス人生の大逆転劇を始めます。“指標”を使い、ストロークから凡ミスを撃退。すると、試合に勝つ回数が激増。落ちていたランキングは1年も経たずに元に。まるで黒駒で覆い尽くされた盤面を、あれよ、あれよと言う間に白一色に塗り変えたオセロゲームのように、戦績をひっくり返したのです。
そして、念願の日本プロテニスランキングでトップ10入り。最高位7位を獲得するまで、上り詰めることに成功しました。(当時の1位は、松岡修造氏)